ドラマ
音楽作品は実に明快である。作詞・作曲家が表に出てくるのは極稀で、90%以上は歌い手或いは演奏者のクレジットが全面に出る。(もっとも、お金の流れは別であるが)
2006年1月3,4,5日と三夜連続で「古畑任三郎」の最終章(らしい)が放映された。
現時点での視聴率等のユーザー評価データを得てはいないが、「古畑任三郎」らしい作品であった。
「古畑任三郎」は、最初から犯人が視聴者にはわかっており、その偽装を如何に古畑が切り崩していくかというプロットで全編を押し通した。作品のタイプとしては映像よりも、活字媒体での表現の方が簡単だと思う。
これが映像作品として成功した理由は、主演の田村正和の存在感に他ならない。共演の西村雅彦も非常に良い味を出しており、役者(配役)の勝利とも言えよう。
そういう意味で、私としては「古畑任三郎」は田村正和の作品だと定義してしまいたい。
おそらく大部分の人がそうであるように、小説、映画ではなくテレビドラマで初めてこの作品に接した。いや、300万部を超える大ベストセラー小説なので、大部分というのは語弊があるか。
大ベストセラー作品なので当然興味は持ったのだが、小説に対する周りの評価は賛否両論、むしろ否の方が多かったくらいなので小説を読もうという気にならなかったという事実はある。
そして、新世紀エヴァンゲリオンのページでも触れたように、タイトルが「世界の中心でアイを叫んだけもの(エヴァ)」、「世界の中心で愛をさけんだけもの」という元ネタありきのものを堂々と掲げているという点にも反感を持ったため、 お金を払って映画を見に行くという気にもならなかったので、一番お手軽なテレビドラマという形で初めてこの作品に触れた。
「冬ソナ」こと「冬のソナタ」に対して日本90年代バブル期のトレンディドラマという評価がある。あるいは80年代少翼}ンガの世界観もあるという評もある。
それに倣えば、この「セカチュー」は80年代純愛少年マンガのテイストか。舞台となっている、というか主人公と自分は完全に同世代(同い年)のため余計にそう感じるのかも知れないが、テレビで見られるその映像はどこか郷愁を誘うものがある。
テレビ版の描写はこっ恥ずかしいのではあるが、自分の青春時代と見事に重なってしまい、郷愁というか自分の失ってしまったものがそこにある、という感覚に陥る人は少なからずいると思う。その「共感」がここまでのブームを呼び、歴史に残るベストセラーとして商業的な成功を収めたのであろう。
文学的な評価は無くとも、共感できる人が多いということは間違いなく成功作である。
少なくともテレビ版については私はかなり好きになった。小説を読む気になるかは未だ不明であるが。