2003年11月 アーカイブ

by ジェニファー・アニストン 2001年作品
フレンズ II ― セカンド・シーズン 1994年に放映開始以来、高視聴率を維持しつづけた90年代後半の全米テレビ界を代表するシットコッムである。2世タレントで、日本ではあのブラッド・ピットの奥様としても有名なレイチェル役のジェニファー・アニストンは95年の米国People誌でPeople of the year にも選ばれている。
 個人的には95年から米国に住むことになったため、このセカンド・シーズン位からはリアルタイムで見ることが出来た。このDVDのDisk6に収められている第21話 : ソファーはゆずれない! (原題:The One With The Bullies)は特にお気に入りのエピソードで、初めて見たときは正直テレビの前でひっくり返った。
 そのシーンとはCM明けのオーラス(2段落ち)の部分にて、モニカ(コートニー・コックス)がバイト先のコスチュームカフェで踊るシーンである。曲はヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A」。西城秀樹のヤングマン原曲としても日本では有名だ。
 何が驚きだったかというと、その振りが秀樹の「Y.M.C.A」のパクり(というよりマンマ)だったことだ。私は小学生のとき、リアルタイでヴィレッジ・ピープルも秀樹もテレビで見ていたが、オリジナルのヴィレッジ・ピープルにはこの振りは無かった。来日した彼らが秀樹の振りをみてそれを気に入り、逆輸入の形で、米国でも展開したという噂は聞いていたが、その証拠を全米視聴率トップのコメディで見られるとは..
 当時、異国の地で不安が多かった私を勇気付けたエピソードとして私は忘れることはないだろう。
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by ビートたけし 明石屋さんま 2003年作品
オレたちひょうきん族  何を隠そう私はビートたけしファンである。中高、大学の10年間ビートたけしのオールナイト・ニッポンと共に木曜深夜を過ごした。学校帰りの電車の中で、たけしのオールナイト・ニッポンの話で盛り上がったというくだらない理由から高校来の親友も出来た。ビートたけしは確実に私の青春の一部だった。と書いてみると、たけし氏には失礼だが、振り返れば私の青春は実にくだらないものだったということをあらためて確認してしまった。
 そのたけしがメインをはり、「8時だよ!全員集合」の裏番組というお笑い番組としては最大のチャレンジプロジェクト「オレたちひょうきん族」がDVD化された。1980年の漫才ブームを牽引した「THE MANZAI」を造り上げたスタッフによるこの番組は、「THE MANZAI」とは全く異なる新しい手法を生み出し、その後現在まで続くバラエティ番組の基本形をつくりだした。
確か第1回か2回の放送だったと思うが、ドラマパロディのコントで仰々しく「続く」というテロップが流れた直後に「続きです」というナレーションを入れるというものがあった。欽ちゃんやドリフに代表される「舞台」もしくは「ライブ」のコントがテレビのお笑い番組でも主流(というよりはこれしかなかった)だった時代に、テレビの手法を遊び尽くすことでテレビでしか出来ないお笑いを提供してくれたのだ。
 これは1970年代後半のギャグマンガのセンスとも微妙にからみあっていると思う。「すすめ!パイレーツ」、「マカロニほうれん荘」、「がきデカ」等のシュールかつスラップスティックなセンスをうまく取り入れることで、「ひょうきん族」はこういったマンガ世代の少年少女をキャッチしたのではないだろうか。くしくも「すすめ!パイレーツ」コミックスの巻末コメントで当時人気絶頂だったB&Bがこんなコメントを残している。「漫画は何でも出来てうらやましい。僕らもステージで虎や竜を一瞬で引っ張り出せたら拍手喝采ですわ」。
 さすがにステージでは無理だったが(イリュージョニストは実現しているが)、テレビの中では可能だったのだ。
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