2004年11月 アーカイブ

by 東京事変 2004年作品
教育  僕はこう思う。椎名林檎にとっての東京とは新宿ではないかと。
僕自身にとっても新宿が東京の象徴であるため、彼女も同じ思考に陥っても不思議ではない。

 1980年代には、地方から上京した場所が「東京駅」と「上野駅」のいずれかによってそのイメージが二分されていた。当時は東京へ入る新幹線は東海道新幹線しかなかったため、東海・関西地方の太平洋ベルト地帯を中心とした地方は東京駅へ新幹線に乗って到着する。東京駅のイメージとあいまってそこにやってくる人たちの顔も希望に溢れた明るい印象があった。
変わって上野駅といえば東北地方から上京してくる人が多く、当時の暗い上野駅のイメージも手伝ってか何故かそこにいる人たちの表情も暗く印象があった。
という印象が強かった時代は確かにあった。駅もきれいになった今では想像しがたいが。

閑話休題。椎名林檎といえば「初めて完全に想像の世界で創造した」という「歌舞伎町の女王」という初期の名曲がある。
彼女の想像だけの世界でも歌舞伎町ははっきりとした存在を確立しており、それが新宿という街の力を象徴している。僕も大学が新宿区にあったということもあり、初めて接した東京とは新宿の街であるために余計そう感じているのかも知れないが。

椎名林檎は「オリジナルアルバム3枚出したら辞める」と公言していた。プライベートでも山あり谷ありであったが、その公言通り、3枚目のオリジナルアルバム後に「東京事変」というバンドを組んだ。

そのバンドのファーストシングル「群青日和」の歌いだし「新宿は豪雨」というフレーズは椎名林檎という希代のロックアーティストの新たな決意表明に聞こえる。
バンド名に東京を名乗り、最初の曲の頭が新宿というのは有意識にしろ無意識にしろ、初心に戻るという想いを公に訴える巧妙な方法である。作曲が椎名林檎ではなく 「H是都M(エイチゼットエム)」というのも含めて。

バンドの首謀者(メンバーのことをこう呼んでいる)が椎名林檎のサポートバンドで、なおかつデビューアルバムから一貫してアレンジを担当している「亀田誠治(B)」も参加しているので、東京事変というバンド名義とはいえ、椎名林檎テイスト満載のアルバムがこの「教育」だ。
デビューアルバム特有の「衝動による表現」に溢れているのは、椎名のデビューアルバム「無罪モラトリアム」に近いテイストだ。
しかし、流石ベテランメンバー揃いのバンドである。悪い意味での青臭さは皆無であり、自らの稚拙さから生まれる緊迫感など微塵もない理想的なデビューアルバムに仕上がっている。ひょっとするとバンド本人達にとっては遠慮している箇所もあるのかも知れないが、聞き手にはそんなことは一切関係ない迫力に溢れている。

以前に椎名林檎と戸川純の比較を書いたことがあったが、このバンドの出現によって戸川純の「ヤプーズ」や「ゲルニカ」を思い出してしまった。やっぱり僕の中ではこの両者の比較は恒久的に続いてしまいそうだ。

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